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雑 学

ここでは、「雑 学」 に関する記事を紹介しています。

はじめに


手作りパンって難しそう

天然酵母なんて私には無理

なんて思っていませんか?

私もやってみるまではそうでした。

でも、実はパン作りは簡単なんです。

天然酵母もドライイーストより発酵時間が長いだけ。

ここではパンにはちみつをかけて食べるのが大好きなたんあんが、数少ない油脂なしレシピを紹介しています。

添加物たっぷりのパンを買うより、おいしくて身体に良い天然酵母のパンを作りましょう



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素朴な疑問


酵母いろいろ
 酵母とは直径が5~10μの比較的大きな単細胞を持つ菌類でイーストともいう。自然界のあらゆるところに生息しており、糖分を食べ、アルコールと炭酸ガスを排出する。この「発酵」という働きを利用し、酒、パン、味噌、チーズなどを作る。
 パン作りに使う酵母としてはサフやパネトーネマザーなどのドライイースト、ホシノ酵母や白神酵母などの天然酵母と呼ばれるものがある。天然酵母と呼ばれるものは種起こしが必要なものがほとんどで、それが面倒だと思われがちだが、必ずしもそうではなく、このHPで確認して欲しい。

グルテンとは
 小麦粉にはグリアジンとグルテニンという蛋白質が含まれている。グルテニンは弾力に富み、グリアジンは粘着力が強く伸びやすい性質を持っている。この2つの蛋白質が水を介して結びつくと両方の性質を兼ね備えたグルテンが発生する。グルテンをしっかり形成するためには加える水の量を調節してやらなければならない。小麦粉に適した量の水を加えてよく捏ねると、グルテンがしっかり形成されるが、水が足りない場合や捏ねが不十分だと、もろくて弱いグルテンしか得られない。

パンの歴史
 人類が始めて麦類を栽培するようになったのは、紀元前8000年~7000年頃。西アジアの「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるイラン西南部からアナトリア高原、レバノン山麓を結ぶ地域だとされています。
 紀元前6000年~4000年頃になると、小麦粉を水で練り、石の上で平焼きしたものが食べられていました。発酵させていないので固い煎餅状でしたが、これがパンの原型といわれています。


 小麦文化が古代エジプトに伝わってまもなく、ふんわり膨らむ発酵パンが生まれます。紀元前3500年頃、こねたまま焼き忘れていた生地をやいてみると、ふんわりふくらんでおいしかったことから、「発酵した小麦は焼くとおいしい」と発見したのではないかと言われています。
 さらにパンはギリシアに伝わり、文献上では2種類の作り方を自由に操っていたようで、原料も小麦以外に大麦、燕麦、粟、レンズ豆、さらには、はちみつやクリーム、卵、オリーブオイル、ドライフルーツなども使って、主食用だけでなく、嗜好的なものも作られるようになりました。窯も改良され、パン職人が現れたのもこの頃です。


 ローマ人がギリシア人の職人を使い始めたのは紀元前300年代。その後、自国のパン職人たちが育ち、ローマ市内だけでも254軒のパン屋があって組合を作っていたり、パン学校や国営のパン工場ができ、パン職人の地位も高まりました。技術の発達で大量生産が可能になると、パンは一般市民にとっても主食としてますます重要な食べ物になりました。
 また、ローマはキリスト教を国教に定めた後、パンをキリスト教やワインとともに西ヨーロッパの植民地に広めていきました。
 ローマが滅んだ後しばらくは、製パン技術はキリスト教の僧院など比較的ゆとりのあるところで受け継がれていきました。
 14~16世紀のイタリアではルネッサンスがおこり、パンの技術にも進歩が見られました。フランスでは17世紀に洗練されたパンが出来上がりました。またフランス王家はオーストリア王家との繋がりも深く、クロワッサンはこの頃オーストリアから伝わったと考えられています。


 日本に小麦が伝来したのは紀元前200年頃の弥生時代前期といわれています。
 中国では古くから蒸すという独特の調理法と道具を持っていて、粟、きび、ひえなどを煮るより美味しく食していました。したがって小麦が伝来したときも、焼く方法ではなく、蒸すという手法を使っていました。生地を自然発酵させ、蒸し上げたものは「蒸餅(チョンピン)」といいました。
 日本では小麦が伝わった当初、ただ捏ねて薄く伸ばして焼いた煎餅のような無発酵パンにしていました。中国の「蒸餅」が日本に伝わったのは806年、空海によるといいます。


 西洋から発酵パンがやってきたのは16世紀、キリスト教の布教のためでした。
 ところが江戸時代になって鎖国令がしかれ、キリスト教も西洋型のパンを食べることも禁止になり、しばらくは冬のときを過ごすことになります。
 再び西洋型のパンに目が向けられるのは江戸時代末期、兵士の携帯用食料としてでした。伊豆韮山代官江川太郎左衛門(担庵)は兵糧パンの必要性を考えていたとき、高島秋帆先生の門人で、長崎のパン職人であった作太郎の出府を知った坦庵は、柏木忠俊に命じ長崎でパン製造を学ばせ、パンの試験焼きを行いました。このパンは、保存食、携帯食として重宝で、韮山塾の門人を通じて、全国に広まって行きました。これが1842年(天保13年)4月12日であり、江川坦庵が「パン祖」、と言われる由来があります。パン業界ではこの日を記念して「毎月12日をパンの日」と決めています。


 現在のような発酵パンに本格的に取り組み始めたのは明治になってからでした。開港後の横浜を起点として、フランス式、イギリス式のパン作りが伝わる一方で、日本人の嗜好に合ったパン作りも考えられるようになりました。
 そんな中で開発されたのが現代にも伝わるあんパンです。これを契機にいろいろなパンが広まっていきました。もうひとつパンが広まるきっかけになったのが、第二次世界大戦後、アメリカから届いた大量の小麦粉でした。当時、食糧難にあえいでいた日本はこれを学校給食でコッペパンとして配給。その後量産型のパン工場が続々と生まれ、さらに昭和45年頃には店舗と工場が一体化したオーブンフレッシュベーカリーも急増し、今日のように専門性の高いベーカリーが生まれる基礎ができたのでした。

参考文献:「パンの事典」 井上好文監修 (旭屋出版)




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